Ty HassyのProgressive Innovation

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「シンクロニシティって何?」③

 前回、前々回と、まだ誰も解明していない「シンクロニシティ」という現象が起こる仕組みを解明するかもしれない仮説を物理学的な根拠も含めて提示しよう、という大胆な試みを図々しくもしてきました。
 今回はその続きを書きます。これまでの投稿を読んでない人は先ずはそちらからお目通し下さい。→「シンクロニシティって何?」①、「シンクロニシティって何?」②

 前回までに、「シンクロニシティ」という現象は、深層心理学の立役者であるカール・グスタフユングによって初めて提示されたものであることをご説明いたしました。
 因みに、晩年ユングがUFO目撃のニュースを聞いた時、それはある種のシンクロニシティだと彼は考えたそうです。
 彼は、UFO現象が第二次世界大戦後に急増した事に注目して、それが、近代の科学的合理主義によってことごとく陳腐化されてしまった古代からの神話に代わる新たな神話であり、2つの世界大戦を経て、人類全体が絶滅の危機にさらされている事への人類全体の深層心理に横たわる深い不安感から、人類以外の具体的な存在にある種の救いを求める代償行為であり、その人類全体の奥深い不安感と期待感が混ざって物質化した現象がUFO現象である、と考えたわけです。
 つまり、ユングはUFOは人類の深層意識が作り出した産物であるとして、実際に宇宙人が乗った宇宙船であるかどうかにはコメントしていないのであります。
 また、ユングはUFOは単なる錯覚や幻などではなく、物理的に存在するものであるとも明言していますが、その内容については明らかにしないまま他界しています。

 このままだと、ここまでこの記事を読んで下さった皆さんも消化不良で欲求不満になると思いますので、ここからは、ユングが明らかにしなかった様々な点についても、最新の物理学や様々な分野の知見も交えて、この私が僭越ながら「個人の見解」を述べさせて頂きたいと思います。
 先ずは、ユングが前提としていたのは量子力学の中でも当時主流であった「コペンハーゲン解釈」でした。この「コペンハーゲン解釈」は、極論すれば「この世界の在り方は人間の意識によって決まるという解釈」であると言えます。素粒子というものは、波動関数と言われる関数グラフに示された様々な存在の仕方の可能性が同時に共存しつつ重ね合わさった状態にあり、そのままでは存在の仕方が確定していない、つまり実在化していない状態にあるが、人間の観測行為によって、その中の一つの可能性だけが選択され、実在化すると同時に、それ以外の存在可能性は一気に雲散霧消すると考えるのが「コペンハーゲン解釈」なのであります。
 あまりにも雲を掴む様な話で分かりにくいと思いますので、ちょっとだけ分かりやすくするために、全く違う現象ですが、ちょっとだけ似ている例え話として、テレビの電波と実際にテレビに映る画像との関係を考えると少しだけ分かりやすくなるかもしれません。テレビの電波というのはいくつものチャンネルの様々な番組の情報が全部共存しつつ重ね合わさった状態で目に見えない状態で空中を飛んでいます。その電波をテレビで受けてチャンネルを選択して初めて、特定のチャンネルと特定の番組が見られるように成っています。
 「コペンハーゲン解釈」によれば、物質も本当は、テレビの電波の様に、波動関数という数式で表される情報としてあるだけで、人間の意識というテレビの様な受像機を通さないと何も姿を現さない、と言っているのです。つまり、私たちの周りの風景も山も川も地球も宇宙も全ては、人間の意識を通さないと何も姿を現さない単なる情報の束でしかない、そう量子力学の「コペンハーゲン解釈」では考えるわけです。
 ただ、人間の意識が物質の存在の仕方を確定すると言っても、「一体どの人間なのか?」「一人一人の人間の意識が違う以上、人間の数だけ違った存在の仕方がありうるのではないか?」などの根本的な疑問は不問にされたまま、この【コペンハーゲン解釈】は一番シンプルな観測問題解釈として普及していきました。ということで、ユングも、世界は一つであるという前提で、様々な問題を考えていたように思われます。
 しかし、もし世界が一つしかないと仮定すると、シンクロニシティの問題にしろ、UFOの問題にしろ、どうしても無理が生じてしまうのです。
 例えば、劇場が一つしかいない所で、その舞台上で100人分のドラマが同時に演じられることはあり得ません。100人分のドラマが同時に演じられるためには100人分の舞台と劇場が必要になります。
 ということで、上記の「コペンハーゲン解釈」が不問にしたまま、なおざりにしてしまった「人間の意識とはいったい誰の意識なのか」と言う問題は【ウィグナーの友人のパラドックス】として知られています。
 素粒子の状態は、人間が観測するまではその状態が確定しない。とすると、先の「シュレディンガーの猫」の話でいうなら、猫の生死は観測者によって決定される、とされます。ウィグナーは、自分の友人をこの観測者に任命しました。その友人が箱の中の猫の生死を確認し、その結果をウィグナーに後で伝えるという寸法です。友人は密室で猫の生死を観測し、ウィグナーは外で待機しています。さて、猫の生死はいつ決まるのでしょうか?
 「コペンハーゲン解釈」を採用すれば、猫の生死はウィグナーの友人が観測した瞬間決定されます。しかし、この友人がその密室から出ずに、情報が全く分からなかったとしたら、さて、どうなるでしょう?外で待っているウィグナーには、猫の生死は分かりません。つまり、ウィグナーにとって、友人が居る密室自体が「シュレディンガーの猫」の箱であるのです。ウィグナーもまた観測者ですから、ウィグナーがその密室に入って猫の生死を友人に確認するまで、その密室の状態は不確定なのです。それを広げていくと永遠の入れ子構造になってしまうわけです。これが【ウィグナーの友人のパラドックス】です。
 もしAさんが、ある事を観測してその状態が確定したとして、それはAさんにとっての確定であって、その結果をBさんが聞くまでは、Aさんの観測結果がどうであったかは「Bさんはまだ知らない」のではなくて、Bさんにとって「Aさんの観測結果は確定していない」という結論になるわけであります。
 つまり、人間ひとりひとりの意識が世界の在り方を確定するわけで、ということは、人間の数だけそれぞれ違った世界が存在することになります。
 このように、様々な疑問の残る「コペンハーゲン解釈」に代わるものとして、新たに登場したのが、毎瞬ごとに、あらゆる存在の可能性が全てそれぞれ別々の世界へと分岐して行っていると解釈する【多世界解釈】と言われるものです。
 【多世界解釈】であれば「人間の意識によって(波動関数が収縮して)世界の状態が確定する」と考えなくても済むのです。これは「コペンハーゲン解釈」が積み残していった問題の解決を図ろうとすれば、必然的に導き出される解釈なのでありました。
 まあ、この辺の話はややこしいので、そろそろ頭が痛くなってきた人もいるかもしれません。要するに、我々が経験している世界も宇宙も一つではなく、人間の意識の数だけ世界があり、さらにもっと言えば、あらゆる可能性の全てが実在化した無限の数の世界と宇宙が存在している、と【多世界解釈】は考えるわけです。
 この【多世界解釈】の無理の無いところは、人間の意識が何かを生み出す必要は無い、というところです。
 ありとあらゆる可能性は必ずどこかの世界で実現している為、要は、それを経験するためにはその世界に意識が繋がれば済むのです。我々が想像しているような宇宙人が乗った宇宙船に乗りたければ、それが実現している世界に意識が繋がればいいのです。
あるいは、宇宙人は、実は宇宙船など使っておらず、あの光る物体は宇宙人が作り出したイリュージョンである可能性もあるわけですが、自分がそうとしか思えなければ、そうなっている世界で宇宙人が作り出したイリュージョンとしてのUFOを見ることが出来るかもしれません。
 つまり、自分がそう思っている世界に自分の意識が繋がっていく確率が一番高いので、シンクロニシティのように、自分が考えていたことと全く同じことを現実で経験するのも、自分の意識がそういう世界を選択しているからなのかもしれないのです。
 ただし、ここで注意しなければならないのは、自分の意識が選択すると言っても、いつも意識できているいわゆる顕在意識が選択するわけではないようだということです。毎瞬毎瞬世界を選択して行っているのは、どうやら潜在意識以下の部分であり、仏教で言う所の阿頼耶識にあたる、一番奥にある深層意識が選択している可能性が高いという事です。
 このように、元々、我々が経験している世界と言うのは、深層意識も含めた自分自身の意識が選択している世界なので、思ったことや考えたことがそのまま実際に起こるのは、むしろ当たり前の事であるとも言えるのですが、通常はむしろ、そのような事が起こらないようにブレーキが掛かっていると考えた方が良いのかもしれません。
 我々の顕在意識と深層意識との間にはフィルターの様なものがあり、そのフィルターのお陰で、顕在意識で考えていることがいきなり現実化したりしないようになっていて、世界は、顕在意識が預かり知らない所で、実はひっそりと深層意識によって選択されている、というのが本当の所のようです。
 とすると、経験世界で起きる出来事というのも、上述の通り、自分の深層意識が選択している世界なのですが、それを経験する(顕在意識としての)内面世界の方は、自分が選択したとは思っていないので、客観的に物事が起こっていると思えているだけだと言えます。
 故に、シンクロニシティと言うのは、その顕在意識上の内面世界での考えや思いが、深層意識とのフィルターが甘くなっている時に、そのまま経験世界の選択原理になってしまっている時に起こる現象、とも言えます。
 だから、思った事や考えたことがそのまま経験世界で起こってしまうのです。なので、その深層意識とのフィルターやブレーキがあまりにも甘くなってしまうと、思った事や考えたことが、どんどんと経験世界で起こってしまうので、先に言いました様に、内面世界と経験世界の区別がつかなくなってしまって、混乱状態に陥る人も居るのだと思います。
 それが酷くなると、いわゆる統合失調症になってしまう人もいるようです。あのユング自身も一時、統合失調症のような状態が続いた時期があったようです。
 ということで、シンクロニシティは非常に面白い現象ではありますが、通常はそんなことが起こらない方が健全な状態なのだと思っておいた方が良さそうです。
 健全な人生とは、深層意識が選択した世界において、顕在意識が何を学ぶかが大切なのかもしれません。そこで学んだことや気づいたことが、ゆっくりと深層意識へと反映されて行って、自然と深層意識が選択する世界の状態もより良いものとなって行き、徐々に徐々に状況がより良い状態へと好転していく、というのが健全な人の人生の在り方なのであると思います。
 従って、現在、巷で流行っている金儲け主義の自己啓発セミナーなどが宣伝しているような、顕在意識が「金持ちになる」という思いを念じ続けて、その思いを深層意識にも浸透させて、結果的に、自分が金持ちになった世界を選択できたとしても、それによって、一体何を学べたのかはいささか疑問なのであります。
 いわゆる「引き寄せの法則」などと言うものも、単に願いが叶うことは、欲望が満たされたことと同じ訳ですが、一つの願いが叶ったら次の願いを願うことになり、結局、永遠に未だ叶わない願いが残ることになるわけで、そのような生き方が本当に人を幸せにするのかどうか、僕は疑問に思わざるを得ないのであります。
 シンクロニシティなどに特に関心のある方にとって、こういう側面を考えることも大切なのではないかと思いまして、あえて書かせて頂いた次第であります。