Ty HassyのProgressive Innovation

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人間原理の謎

 【シュレディンガーの猫の謎】の話で、ミクロの世界を記述する量子力学によれば「物にはいろんな存在の仕方の可能性があるだけで、人間が観測するまではその存在の仕方は確定しない」とされていると言いました。
 つまり、これまでの古い物理学では、物というのは人間が登場する前から存在していたし、人間が観測しようがしまいがそんなことには関係なく初めから決まった状態で存在していると考えられていたわけですが、量子力学は、物というのは、少なくともミクロの状態では、いろんな存在の仕方の可能性が重ね合わさるような状態にあるだけで(存在の仕方が確定していないのでその時点ではまだ存在しているとは言えない)、人間が観測することによってはじめて、その存在の仕方が確定して実在化するとしているわけです。
 さて、このようなミクロの世界を記述する量子力学とは一見関係なさそうに見える、超巨大なマクロの世界を扱う「宇宙論」では、「そもそも何故この宇宙に人間が存在しているのか?」ということが大きな問題となっていました。
 何故なら、宇宙が始まって以来、銀河系が誕生して、その中で太陽系が誕生し、その中に地球が誕生して、そしてその上に人類が登場したわけですが、それらの段階でほんの少しでも条件が異なっていたら絶対に人類は存在しえなかった、という事実が分かってきたからです。
 つまり、人類の誕生は、殆どありえないぐらいの偶然が幾つも重なった奇跡的な出来事であったことが分かった訳です。どれぐらいありえないかというと10の1200乗分の1という確率です。これは、同じ人が年末ジャンボの1等賞を連続して1000回当てるよりも、もっともっとありえない確率なのです。
 このような、ほぼ絶対にありえないような偶然によって人類が存在している訳ですが、これは宇宙論では、もはや、全く偶然に人類が登場したとは考えられないので、宇宙論を考えるうえでも、人間存在を可能にするという事を前提にして考えられなければならないとして「人間原理」というコンセプトが持ち込まれることに至った訳です。
 その解釈には幾つかあるのですが、その中でも、先に説明した量子力学観測問題を根拠にした「強い人間原理」を主張する解釈では、理論物理学の大御所のジョン=ウィーラーらが、「宇宙の初期状態も、実は、人間が観測するまでは無数の可能性の重ね合わせ状態にあったのであり、まだ特定の存在の仕方としては確定していなかった。それが人間が観測したことにより、その人間が生存できる環境条件を整えた宇宙の存在の仕方だけが実在化したのである」としています。
 つまり、150億年前に生まれたとされる宇宙は、人間が観測するまで、あらゆる存在可能性が重ね合わさる「波動方程式」(数式のようなもの)としての状態にあったが、人間が観測したことにより、人間が存在できる条件の宇宙のみが実在化したと言う訳です。
 150億年後に登場した人間の観測行為が150億年前の宇宙の状態を決定づける、こんな話は時間を遡るような話でありえないと思われますが、ジョン=ウィーラーは、観測行為が時間を遡って量子の状態を確定することを証明するために「遅延選択実験」という実験を行ないました。そして、確かに人間の観測行為が時間を遡って量子の状態を確定することを、実験的に証明しました。
 そして、人間が存在しないような条件の宇宙も無数に存在する可能性はあったかもしれないが、そのような宇宙は人間によって観測され得ないので、観測され得ないものは実在化しないので、存在しないのだという訳です。
常識ではとても信じられないような話ですが、無数の可能性の重ね合わせの中から、人間の観測行為が一つの可能性だけを選択して、それによって量子の状態が確定するという事実は、誰がどうしようとも否定しがたい事実なので、ジョン=ウィーラーの説も、誰も否定することもできないのであります。
 ただ一つだけ、ジョン=ウィーラーのような無理な解釈しなくても、すんなりと量子の状態確定の問題も宇宙に人類が存在する理由も簡単に説明できる解釈があるのです。
それは、先の【シュレディンガーの猫の謎】の記事でも触れました「多世界解釈」と言われるものです。これは、あらゆる可能性の重ね合わせ状態は、人間の観測行為によって、その中の一つだけが選択されて実在化して、それ以外の可能性は観測の瞬間に雲散霧消すると考えるのではなくて、あらゆる可能性は、毎瞬、それぞれの世界へと分岐しながら実在化している、と考える解釈です。
 つまり、多世界解釈では、この世界は、毎瞬、可能性の数だけ枝分かれしていて、実は、全ての可能性はそれぞれの世界で実在化し、観測者である人間自身も、世界と共にあらゆる可能性へと分岐して行っているので、その中の1つの自分にとって見えている世界はいつも1つに見えているが、毎瞬、無数の可能な世界の中から1つを選び続けているのであると考える訳です。
 そして、これを宇宙論に当てはめれば、人間が宇宙の中で誕生する確率は10の1200乗分の1であるなら、10の1200乗通りの宇宙が枝分かれして実在化すればよいのであって、その中の一つには必ず人類は存在するわけで、その人類が過去を振り返れば、自分たちが存在するのに奇跡的な偶然が重なったことを悟るかもしれないが、人類が存在しない世界も無数にあるので、それを考えればそんなに大した話ではなくなる、という訳です。
 宝くじの話を例に挙げると、毎瞬世界も自分もあらゆる可能性の数だけ分岐しているので、その中の1人の自分は年末ジャンボの1等賞を当てているかもしれないし、毎回どこかの世界では1等賞を当てている自分はいるはずなので、自分が1等賞を1000回続けて当てることもどこかの世界では必ず起こっているということです。
 ただ、何故、今の自分が、1等賞を当てる自分に意識が繋がらずに、相変わらず貧乏生活を続けている自分に、意識が繋がりつづけているのかは、これは、量子力学でも宇宙論でも解けない最大の謎であると言うべきかも知れません。
 一応、量子力学的な解釈をしておけば、あらゆる可能性と言っても、全ての可能性が同じ確率で実現しているわけではなく、波動関数という関数グラフであらわされる確率分布に応じた重ね合わせ状態から分岐していくので、貧乏な自分が次の瞬間も貧乏である確率が90%だとすると、宝くじが当たって億万長者になる確率は0.0001%以下ぐらいなので、それほどまでに低い確率の世界の自分に今の自分の意識が繋がっていく確率は、それこそ宝くじが当たる確率ほど低い、という事です。なんだか最後は当たり前のような話になってしまいましたが、まあそういう事です。